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  • 梅酔會(meizuihue)掲示板

  • 投稿者:管理者
  • 投稿日:2009年 8月28日(金)10時56分40秒
 
東洋思想の研究。

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  • 近代文明の欠陥とその補正

  • 投稿者:クロメール
  • 投稿日:2010年 8月25日(水)22時55分1秒
  • 返信
 


 今日のいわゆる知識人には「近代的」なるものに絶対の価値を置き、日本の事物において「近代化」しないところのあるものをすべて価値なきもの廃棄すべきものとする傾向がある。勿論、ヨウロッパの近代文明には多くの側面があって、そのうちには長い間の人の努力によって次第に作り上げて来た美しい事物、それによって人の生活が深められも高められもしたものも多く、自然科学の成果とても同様であるが、しかしそういう側面と欠陥のある側面とが離れ離れに存在するのではなく、互に入りまじりはたらきあって一つの近代文明を形成しているのであるから、全体としての近代文明を無上のもののように思うのは、正しい考えかたではあるまい。のみならず、近代化として賛美せられるものには、社会状態なり生活様式なりにおいて、欠陥を有っている側面のことが多いように見える。

 こういうと、近代の社会構造の欠陥を有っているからこそそれの変革を要求するのだ、というものがあるかも知れぬが、例えばいわゆる資本主義社会に対して社会主義社会を建設しようというような考えがあっても、その社会主義社会の構想そのものが、実は欠陥を高度に有っているものなのである。あるいはその欠陥を更に大きくするものなのである。社会主義というものが実現せられていないもの彼岸のものであるからこそ、実現しようとする欲求が美しい幻影と化して社会主義者の目に映ずるのであるが、一たび実現せられて此岸のものとなったならば、それから生ずる弊害には恐るべきものがあろう。それは「人」を軽視するものだからである。従ってまたそれは近代文明の賛美者たることにおいて、社会主義者ならぬものと変りはない。要するに、こういう考え方は、近代文明が歴史の最後の到達点ででもあるかの如く思うものである。

 しかし、今日は明日には昨日となる。百年の後には今年は百年の昔となり、千年の後には千年の昔となる。今日を最後の日とし今年を最後の年と思うほど、無意味なことはない。今日の近代は何時までも近代ではなく、時がたってゆくに従って、それは中古となり古代になる。それは単なる時間の経過ではなく、生活の変化であり文明の変化である。五百年前に生活していたものはその生活に誇りをもっていたであろうが、今のわれわれはそれを回顧してその欠陥を指摘する。それと同じく五百年後に生をうけるものは今の文明を回顧してその欠陥の甚しきに驚き、今の世に生きていたものがそれを「近代的」として誇っていたのに驚くであろう。「近代的」なるものを謳歌してその欠陥を覚らないのは、歴史が断えず前進してゆくことを知らないものである。好んで歴史を口にするものが近代文明に絶対の価値を置くのは、歴史の何たるかを知らないからのこととしなくてはなるまい。歴史は未来に向かって刻々に生活を変えてゆき新しくしてゆく。変えてゆくのは現在の状態に欠陥があるためにそれを補正してゆくことであって、それが「人」の生活なのである。

 然らば近代文明の欠陥をどう補正してゆくべきであるか。それは失われんとする「人」を回復し、「人」の権威を立て、「人」の責務を明かにし、「人」のはたらきを全面的に旺盛することである。「人」が機械の主人となり「人」が集団をはたらかせ、群集の流れにおし流されずして自己を堅持するようにすることである。アメリカは機械文明が最も発達していると共に、アメリカ一流の集団的行動の盛んに行われているところであるが、そこには、伝統的な自由主義的個人主義的思想と、本質的にはそれと必ずしも一致しないところがあるけれどもやはり伝統的なキリスト教とがあって、その欠陥をある程度に補正しているらしい。しかし近代文明の世界に入りこんできてそれから利益うけると共に、その欠陥をもうけつぐようになった我が国には、そういう伝統が二つともない。そこで日本人はその欠陥を補正するために別の方法を要する。それは一つは日常生活そのものにおいてであり、一つは思想の力によってである。

 前の方についていうと、日本は近代文明の世界に入りこんで来たけれども、日本人の生活のすべてが近代化したのではないことが考えられねばならぬ。この近代化せられない側面に、素朴ではあるが、またそれみずからにいろいろの欠陥を伴ってはいるが、近代文明によってまさに失われんとする「人」の保持せられているところがある。最近の戦争が甚しくそれを傷け、戦後の種々の不用意な施設と思慮の足らぬ言論とが更に別のしかたでそれを破壊しようとしたが、なお全く破壊せられてはいない。そこでその傷を癒し破壊せられんとしたものを建てなおすことにおいて、近代文明の欠陥を補正する一つの道が開かれるであろう。

 日本人は最近に至るまでヨウロッパの文明の圏外に立っていて、その形成には関与していなかったから、その圏内にあってそれに制約せられるヨウロッパ人とは違い、外部から自由な批判をそれに対して行うことの出来る地位にあることを、知らねばならぬ。ただ今日の日本の一部の知識人言論人ほど、自国民としての誇りをもたず、自国民を軽侮し自国民の生活の伝統を破壊せんとすることに一種の優越感を抱いているものは、世界に類があるまい、ということを一言しておく。(この態度この気分は、最近の戦時中に日本を無上の国として宣伝し、そう宣伝することによってみずからもそれを信じそれを誇るようになったのと、同じ根柢から生じたものであり、一つの意味においては、それと同じ平面にたっての反動である。)なおかかる知識人言論人は、その言議がヨウロッパやアメリカなどの書物のうちから得た知識によって自己を蔽われたところから生じたもの、現実の国民の生活とその生活気分とから遊離しているものでありながら、自己から出たものが国民の思想を代表するものである如く錯覚していることをも、付言すべきであろう。

 次には近代文明を補正すべき思想上のしごと、特に学問のしごとが考えられる。歴史の学においては、現実の自己の生活によって、またそのうちから、「人」としての自覚を喚びさますところにこの学の出発点があるので、人が歴史を作ってゆくものであること、歴史を作ってゆくというのは、現在の生活に変化を与えて未来に新しい生活を展開させてゆく意義であることが、それによって明かにせられよう。そうしてそれがおのずから機械文明と集合体としての生活とによってまさに失われんとする「人」を回復し、それによって近代文明の欠陥を補正してゆく思想的根拠が得られるであろう。そうしてそれはまた、逆に、「人」を知ることは歴史を知ることによってはじめてなされる、ということにもなる。歴史の学は、未来に向かって人が如何に歴史を作って来たかを知ることによって、現在の自己とその生活とを知らしめるものであり、そうして自己とその生活とを知ることによって「人」を知らしめるものであるからである。遠い昔から人の行動を記した歴史の作られて来たのも、ここに深い根柢がある。人は行動するものであり、行動することは自己を作り社会を作ってゆくことであることが、素朴な考えかたながら知られていたからこそ、こういうものが書かれてきたのである。

 歴史家は歴史の学においてまさに失われんとする「人」をとりもどすべきである。歴史の主体は、通常の場合、民族なり国民なりであるが、それがここにいった意義での「人」であることは、いうまでもなかろう。そうしてかかる「人」をとりもどすには、多方面を有する生活の過程を一つの生活の過程としてそのままに思い浮かべ、そうしてそれを叙述することが必要である。こういう叙述をすることは、一面だけの観察をしたり、合理主義的な考えかたでのみ事物を取扱おうとしたりしたのでは、決してできない。固定した学派的教説を適用するに至っては、なおさらである。人を「人」として、生きた人として、一刻も休止することなく動いている人として、一言一行にも極めて複雑な因子があり多方面のはたらきをもっている人として、またみずからも明かには意識しない生活気分生活感情によって動くことの多い人として、その心情その行動を具体的のイメェジとして思い浮かべるのでなくては、できないからである。社会状態とかその一般的性質とかを概念として構成することも、歴史の学においては、かかる具体的のイメェジを作ることを助けるための一つの方法としては、その用をなすであろうが、それは歴史の学そのものではない。

 しかし歴史家がかかる任務を遂げるには、歴史かみずからが「人」でなくてはならぬ。機械文明に圧倒せられ、従って人の生活を機械観的に取扱ったり、群集の力にひきまわされ、世間の風潮におし流されたりして、自己を失い「人」を失ったのでは、歴史は解せられず歴史を叙述することはできぬ。歴史の学において「人」を回復せんとするには、歴史家みずから先ず自己自身において「人」を回復せねばならぬ。これがわたくしのいおうとすることの根本である。

      ~ 津田左右吉《歴史の学に於ける「人」の回復》より 昭和二十七年初稿 ~


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  • 関連掲示板のご紹介

  • 投稿者:管理者メール
  • 投稿日:2010年 1月 4日(月)14時11分11秒
  • 返信
 
 当スレッドの設立に際し、意識した『櫻粋會-掲示板』へのリンクを貼っておきます。

http://6131.teacup.com/dartford/bbs

 本スレッドとは比較にならないほどハイレベルな掲示板ですが、こちら『梅酔會(meizuihue)』にて修行を積んで、道場破りに出かけられるとよいでしょう。

 ひひひ。

  • [4]
  • Re: めいひゅう

  • 投稿者:勇俊
  • 投稿日:2009年 9月30日(水)13時07分46秒
  • 返信
 
おっといけません、東洋思想なのに西洋映画のネタをふってしまいました。

反省しています。

  • [3]
  • めいひゅう

  • 投稿者:勇俊
  • 投稿日:2009年 9月30日(水)13時06分10秒
  • 返信
 
梅酔會(meizuihue)とは、メイヒューに似ています。

ほら、あれですよ、御者の。

  • [2]
  • Re: 此方でははじめまして

  • 投稿者:九六メール
  • 投稿日:2009年 9月 3日(木)20時13分46秒
  • 返信
 
>>1

☆荒富さま

 こんばんは。

 せっかくお越しくださったのに、御礼が遅くなって申しわけございません。

 こちらのスレッドは、「櫻粋會」に対抗(?)して立てられました。

 レベルは格段に落ちますが、酒を飲みながら・・・の雰囲気で、日頃思うことをもっと気楽に書き連ねてもらおう、というのが趣旨でございます。

 総本山を「何でも商会」としたことですし、この際、「櫻教育再生會議」「御前會議」のスレッドも設けようか、と考えております。

 よろしかったら、入り浸っていただいて結構です。

 引き続きよろしくお願い申し上げます。

ありがたうございました。

  • [1]
  • 此方でははじめまして

  • 投稿者:荒富メール
  • 投稿日:2009年 8月31日(月)13時17分27秒
  • 返信
 
   九六さま

 こんにちは
  少しご無沙汰致してをりました。
 遲參 恐縮です。某所でハンドルを拜見した折は、はて? 此の御方は”艦戰”か”陸攻”かと.....(笑)

 とにもかくにも終はりましたね、四年ぶりの狂騷曲。「○○殿、御討死に!」の悲報が各地より相次いで寄せられてをりますが、まあ、こんなものでせう。
 もちろん嬉しくはありません。かと云つて、悲憤慷慨するつもりも、天に向つて長嘆息することもありません。現に、今朝も一庶民として普通の一日が始り、先程いつも通りの晝食を攝り、夜になれば晩酌を愉しみ、家族と共に儉しい夕餉をいただき、そして眠ります。
 どちらが勝たうが、負けやうが、それらが變はるものではありません。庶民の生活とはいつの時代もそのやうなものでせう。
 午後は、昨日 讀み切れなかつた本の殘りにでも目を通すことにします。
  近いうちに、またお邪魔します。

  有難うございました。


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