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クロ様
おはようございます。
> 万人に偉人と賞せられる人々が、挙って「賢者」「聖者」「利口」であったかを考えてみたとき、決してそうではなかろうと思うのです。
> 神仏でもない人間である以上、ときにはウソを吐いたろうし失敗もあったでしょう。
> 特定偉人の生涯のうち或る一部分だけを切り取れば、「馬鹿者」「愚者」「凡夫」「大衆」「庶民」「民衆」と称してよい場面が必ずあったに違いありません。
おっしゃる通りです。
小生の定義はいたって簡単で、何も難しい話をしているわけではありません。
例えば、本当に傲慢な人間は、他人に傲慢だと指摘されても、自分のことを傲慢であるなどとは考えないものです。
謙虚であればこそ、己の傲慢に敏感とならざるを得ません。
同じように、本当の愚人は愚直であることに美徳を感じたりはしないものだと小生は思います。
ゆえに、賢者とは、己の愚かさを悟れる者というわけです。
本当の馬鹿は自分のことを馬鹿だなどとは思わないし、馬鹿でいようと思うこともないでしょう。
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