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<クロの卒論から>

 投稿者:クロメール  投稿日:2012年 1月26日(木)09時21分57秒
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  > No.345[元記事へ]

☆ SHO 様


 おはようございます。

せっかくご紹介いただいたのに、小生、あちらへはアクセス禁止の身分でしたので、このPCからは拝見できませんでした。ちょっと不便ですね~(笑)。

 「読みたくない」との意思表示(?)でしょうけれども、根が意地悪な性分ゆゑ、これ見よがしに該当部分をコピペしておきますね。

クロ 投稿日時: 2007-8-19 20:30
No.97410: 38年前の「卒業論文」から

第四章 討議法における民主主義

第二節 民主主義と討議法の関係

① 民主主義の教育的課題

 民主主義が今日の社会における理想的形態であることは、誰しも疑う余地のないところである。しかるに、今日、民主主義社会を名のる国ぐにが多いなかにあって、それが真の民主主義であるかと問えば、はなはだ疑わしい。そんなことは、民主主義がいまだに理想的状態に達することなく、発展段階にあることをみてもわかる。それは、民主主義そのものに対する考え方から生じた社会的混乱もさることながら、民主主義社会においてきわめて重要である社会的自覚・責任感などを欠くところの人間の本質的な利己主義によるところが大きい。ここに、政治的権力はともかく、教育に課せられた重大な任務を考えなおさなければならない事態を痛感するのである。つまり、人間の利己主義的な、社会的自覚や責任感の欠如といった民主主義社会の形成をはばむ要因をとりのぞき、真の民主主義実現に近づくためには、教育をおいてほかにはないのである。

 それでは、真の民主主義とはいったいどのようなものであろうかといえば、それは個人の人権・立場を尊重し、個性の伸長を目的とするものであって、自由と平等の原則のうえになりたつものである。そのためには、人間相互の理解と協力の精神に立脚した社会生活を営むものでなければならない。この真の民主主義をめざして、総力を結集して教育活動に専心従事する必要にせまられているのである。

② 討議法と民主主義の接点

 そうしたなかで、討議をおこなうにあたっては、個人の人格および立場を尊重することが一つの条件となる。すなわち、この条件を無視してしまえば、討議は醜悪なものとなり、教育的効果を得るどころか、討議そのものが成立しなくなってしまうのである。この意味において、討議をささえているのが、個人の人格および立場の尊重という相互理解の原則にたつもので、これがまさしく民主主義の基本精神であって、いってみれば、民主主義が討議をささえていることになる。裏をかえせば、討議が民主主義社会の実現に貢献しているのである。

 討議をもっと教育学的な視野で考察するなら、討議される内容もさることながら、それよりも、教育方法としての討議が重要な意味をもつ。つまり、討議がどのような過程を経ておこなわれていくのかという討議のプロセスに注目が集中する。それは、いかに民主的におこなわれているというかにかかっているといってもよいだろう。それなのに、企業内教育訓練の方法として用いられている討議法においては、この討議のプロセスに注目してとりあげられたというよりは、むしろ、利潤追求のための間接目的としての生産性向上をはかるために、討議によって、直接現場に起こる問題とか、起こりそうな問題について意見を広く集めようとするために導入されたといってよい。しかし、討議法の導入原因がどのようなきっかけによるものであるにせよ、討議をおこなうにあたっての民主主義の原則を切り離すことはできないのである。企業の社会的責任は、その主要な部分が安価で、しかも立派な製品をもって消費者へのサービスをおこなうことにあるわけであるが、副次的な社会的責任として、従業員・労働者に対する産業社会人としての教育を忘れてはならない。その一端は、労働組合によるものであることが必要なのに、現状ではほとんど企業にまかせて責任をおしつけているありさまである。産業社会人の育成、すなわち、民主主義社会に対応する社会人の育成である。討議の過程が、民主主義の過程の原則であるならば、企業は討議形式による教育を通して、民主主義社会に対応する社会人を育成していることになるのである。もちろん、企業にとっては、民主主義における社会人の育成を目的として討議をおこなっているわけではなくて、利潤追求の一手段として用いているにすぎないことは、すでに何度も論述を展開してきたところであるが、その理由はともかく、企業が討議を通じて、民主主義社会に対応していく人間を育成する結果となっていることにはかわりがないのである。討議が民主主義と結びついているのは、このように、その内容よりも、むしろ、その過程における民主主義的な要素が必要であることによるのである。


第三節 討議法における民主主義

① 討議法の相互理解の原則

 討議法が民主主義の精神のうえになりたっていることは、前節において展開してきたとおりである。企業の経営的な立場からみれば、なるほど、討議法が利潤追求に直接結びついた問題に対する意見を聞くことにその意義があるといえるのであるが、これを広く社会的な視野でながめるならば、むしろ、教育方法としての討議のプロセスにその意義を見出すことができる。つまり、参加者相互の理解と協力によってすすめられていくという原則である。これこそ、まさに討議法における民主主義というべきであろう。この相互理解と相互協力の精神は、民主主義社会を推進してゆくために欠くべからざる要素であって、きわめて目立たぬ存在ではあっても、なにがしかの有意義な結果をもたらすものである。

② 人間関係と話し合いの原則

 さきに、経営戦略的な見方をすれば、討議の過程よりも、討議の内容に意義があることを述べたが、今日、人間関係の促進のためにはその民主主義教育的な討議の過程にもより注目すべきだ、との傾向がみられるようになっている。企業は生産機械の組織ではなければ、ましてやコンピュータ社会でもない。それは、まさしく人間の組織体にほかならないのである。人間社会において人間関係が生じるのはいうまでもないことであり、人間の組織体としての企業にあっては、この人間関係を切り離して考えることはできない。それどころか、企業にとっては、利潤追求といった面でとらえてみても、人間関係ほど重要なものはないといえる。すなわち、企業を動かしているのが人間であり、今日のように生産部門の専門分化が進展すると、旧来のような一人の職人によって製品が生み出されるのではなく、各労働者が一つの生産部門を請負うかたちとなっているだけに、人間の疎外感を誘発しやすい状態であって、生産性向上をはかる意味からも、各個人が人間的接触を保つことは必要かつ重要な要素となる。このような、一人個人としてでは企業のなかで単なる歯車か部品にすぎないと考えるところに現代社会における人間疎外の流行語を生みだす一面があるわけで、人間尊重の道義的な精神からも、社会的な義務としての労働者・従業員の間でのコミュニケーションが必要なわけであって、よりよい人間関係が望まれるのである。経営者側にとってみれば生産性向上のためであり、労働者・従業員の側からは職場生活、ひいては社会生活の問題であって、それぞれの立場が異なるにしても、人間関係の重要性には変わりがない。よりよい人間関係をつくることは、すなわち民主主義の実現と結びついてくるのである。

 このような状況から、討議法の民主主義的な側面に注目が集められてくる。討議といえばあたかも自分の意見をもって相手を負かすことのように考えられがちであるが、真実においてそのようなことはなく、相互理解と相互協力のうえにたつ、自由な意見の交換である。この原則を失なえば、もはや討議ではなく、教育的意味もなくなってしまう。相互理解と相互協力の精神は、相手の意見を尊重しうけいれるところに生かされているわけで、よく民主主義とは話し合いの原則であるといわれるのは、このような討議のもつ性格からきているのである。


③ 討議法における非多数決主義

 企業内教育訓練としての討議法は、多数決主義を否定するものである。というのは、企業内の実務に結びつく問題を討議するという性格上、多数決万能主義は許されないのである。すなわち、真理とは必ずしも多数意見のなかから導きだされるものではない。そこへもってきて、企業は理想を追い求めるものではなく、常に実際的な真理を生産に結びつけるものであることから、多数決は考慮されないのである。企業の本質は、真理を探究してこれを実践に結びつけるのであって、そのためにこそ討議の機を設けてある。いわば、企業内教育訓練としての討議の宿命であり、ここでは多数か少数かなどは問題ではなく、その意味で多数決主義を否定する立場にある。

 民主主義を名のる現代社会にあって、多数決こそ民主主義の原則であるかのように考えている者はおどろくほど多くにのぼっている。しかしながら、はたして多数決主義が民主主義の精神にもとづくものであるかといえば、はなはだ否定的にならざるを得ない。多数意見が必ず真理をつく正しいものであると誰がいえようか。それは、むしろ民主主義を危機におとしいれるものであるとさえいえる。民主主義の根本理念は、多数決主義ではなく、ましてや多数による横暴でもない。それは、人間相互の人格および立場を尊重するという相互理解と相互協力の精神に基づくものである。今日のような多数決主義の横行は、まさに民主主義の本質がみきわめられず、未完成のものであることを思わせる。こうした状況のなかにあって、企業内教育訓練における討議法は、真の民主主義実現を暗示する一つの光であるともいえる。それだけに、今後の発展が期待されるわけである。
                 (以上、原文のまま 抜粋完)

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 牛のヨダレみたいな駄文にお付き合いくださり、ありがとうございました。何を言いたいのか、自分でもわからなくなるほど回りくどい表現ですが、実は、原稿用紙百枚程度に纏める条件があって、膨らし言葉で字数を埋めるのに精一杯だったんですね。語彙不足も露呈してしまいました。下手な字を隠してくれたパソコンさんには感謝です。

 言いたかったことを箇条書きで要約します。

  ① 企業(組織)は人なり。外見でなく、動かす人を見ること。
  ② 討論は相互理解・相互協力がないと成り立たない。
  ③ 企業は実践の場であって、論破が目的ではない。
  ④ 多数決は結論が出ないときの次善の策にすぎない。
  ⑤ 少数意見であっても、理あれば受け入れるべきである。
  ⑥ 「権利・自由」を得たければ、表裏一体の「義務・責任」が伴う。

をはり。

 
 
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