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Re: 日本人の国民性

 投稿者:クロメール  投稿日:2012年 1月20日(金)18時08分52秒
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  > No.339[元記事へ]


《 №339の続き 》

 異国の宗教たる仏教が当時の支那的文化の一現象であつたことはいふまでも無からう。漢訳せられた経論によつて得られる教理の修得に支那文学の知識がなくてはならぬことは固より、寺院殿堂の建築、仏像の彫刻絵画、または法会の音楽儀式などには、韓人もしくは漢人によつて伝へられた特殊の技術が要る。百済を経由したものが支那から直接に伝へられるやうになり、新しい宗派と新しい技術とが加はつて来ると共に、仏教と支那文化との関係は益々密接になるのみであつた。そうして、政府から国民を教化し中央の権力を地方に及ぼさうとする当時の支那的政治主義の政府は、此の仏教を国教として、官府の権威を以て民間にも地方にもそれを弘めようとしたので、例の国分寺の設立によつて其の形式が整備した。これは宗教であるだけに、国司によつて代表せられる政治的権力に伴つて弘められた支那的文化よりも、寧ろ多くの効果を各地方に及ぼしたらしい。地方から名ある僧侶の出たことなども、此の点から見ると無意味のことではない。しかし其の効果も、国民道徳を向上させるとか宗教心を高めるとかの点では無く、寺を建てるとか仏像を礼拝するとか、但しはそれに伴つて支那の文字の知識を与へるとかいふ方面のことであつて、宗教としてはやはり外面的の、いはゞ浮華の、一面に過ぎなかつたことは、支那文化と同一である。

 政府はかういふ風に支那の文化や仏教を学び又伝へたけれども、其の伝習し得た異国思想はやはり何処までも異国思想であつて、国民の実生活から遊離してゐるものであつた。此の点に於いてもまた当時の有様は、現代(註;大正時代)の日本人が欧州の思想を伝へつゝあるのとは甚だ趣を異にしてゐる。現代では国民の実生活そのものが、欧州、むしろ世界一般の風潮と接近しつゝある。日本人は現代の科学によつて発達した物質的文化を悉く学んで其の賜を享受してゐる。従つて経済生活の上に於いて、日本人は欧州人と同一の方向を取つて同一の主義の上に動いてゐる。だからかういふ文化かういふ生活から発生してゐる欧州人の思想は、日本人にとつても亦決して異国の思想では無いのである。科学の興隆と共に、思想発達の一階段として自然主義の起つたのも免れ難い趨勢であり、個人の活動が基礎となつてゐる今日の経済組織には、個人主義が必然的に生ずる。新しい時代のものが昔風の家族主義、古い意味のまゝの道徳に服従し難いのも、異国人の思想を学ぶところから起つたのでは無く、自分自身の現実の生活が其の主義なり道徳なりと矛盾してゐるからであつて、やはり国民の実生活そのものが昔とは変つてゐるためである。ところが昔支那思想を学んだのはさうでは無かつた。実生活とは関係なしに、たゞ思想を思想として伝へたのみである。だからそれは大体に於いて実生活から遊離した知識としてのみ採られてゐる。支那の政治的・道徳的思想、仏教の厭世観は、常にそれに接触してゐる貴族にすら真に理解せられ体得せられてはゐなかつた。たゞ何れの国民にも共通の点があるのであるから、支那思想・仏教思想に於いても、我々の民族の心生活に適合する部分のみは採用せられ信仰せられる。だから肉慾的神仙思想がもてはやされ、仏教は単なる祈祷教として行はれた。

 其の祈祷的仏教に於いても、中心観念は後生安楽よりは現世の利益である。だから語を換へていふと、旧い昔ながらの幼稚な宗教が仏教の衣を着たので、木や石の代りに仏像を拝んだだけのことである。弥陀の浄土も信ぜられ極楽往生も説かれたけれども、それよりも薬師如来や吉祥天の信仰が重かつたらう。外来の仏教に対する固有の信仰の反抗は、ほんの一時のことで、すぐに消えてしまひ、後には仏教が国教らしくなつたのみならず、所謂神仏同体の思想を以て我が国の神祇を其の教に取り入れてしまつた。仏教が到る処の宗教と結合し融和する傾向を有つてゐるのは、其の汎神的思想がかういふ態度を取るに教理上甚だ便利であつたからではあるが、我が国に於いてかういふ神仏合体が行はれたのは、仏教が単に祈祷教としてのみ国民の目に映じてゐたことを示すものである。

 民族生活の実際とは懸け離れた異国思想に接触する場合には、かうなるのが当然であるが、異国に於いて既に形をなしてゐる文芸などでは、単に其の定型を智性の上から模倣するに過ぎなかつたのである。懐風藻の詩がそれであつて、自己の心生活とは没交渉な空しき文字を型にあてはめて聯ねたのみである。従つて知識本位、技巧本位になり、千篇一律になり、情生活の表現としては何等価値がない。仏教芸術に於いては猶さらである。建築でも彫刻でも絵画でも、これらの芸術そのものが、従来我が国にまるで存在しなかつたのであるから、初めはたゞ異国人の作つた異様のものに驚歎の眼を瞠るのみであつた。さうして、我が工人が多少その記述を学び得るやうになると、新しい様式、新しい技巧がその上その上と入つて来るので、我が工人は其の後を追つかけ追つかけ学んでゆかねばならぬ。それどころではない。これらの芸術は本来仏教といふ異国の教に附随してゐるものであるから、仏の相好はこんなもの、浄土の有様はかういふもの、寺院堂塔の配置はかう定まつたもの、とのみ信ぜられ、其の典型は木や石の形がきまつてゐると同様、始めから動かせない性質のものであつた。即ち国民の信仰の象徴でもなければ趣味の表現でも無く、初めからさういふ内的意義を少しも有つてゐないものであつた。秋天に立つてゐる薬師寺の三重塔は、其の権衛といひ輪廓といひ、其の簡素にして而も変化を失はざる細部の技巧といひ、今日見ても殆ど申し分のない美しい建築である。けれども、あの層々相重なつて其の頂に聳ゆる九輪の尖端が高く碧空を摩する卒堵婆は抑々何を語つてゐるか、当時の人の何様の情調がそれによつて現はされてゐるか、或は大きな屋根が天から落ちて来て地を蔽ふばかりに見える。さうして中へ入ると光線の通らない薄暗い陰鬱な、金堂の建築に何の象徴があるか。十一面観音や四天王や十二神将や、或る教義の寓意せられたものとしては、知識の上からそれを理解することは出来ても、日本人の信仰なり想像なりから現はれたものでないから、当時の人の内生活とは何の因縁も無い別世界のものである。何から何まで異国のものである。異国のものといふよりも人間界を離れた怪物であつて、どこか知られぬ幽冥界から人の世を嚇かしに出て来たものである。多くの児女はそれを見て白日の夢にうなされるかも知れない。要するに外から持つて来た型によつて作られた工芸品であり複製品であつて、真の意味でいふ芸術品では無い。実は其の手本となつたものが、仏教芸術の歴史からいへば、既に因襲化し、便宜化し、退化したもので、芸術品としては価値の高くないものである。従つて其の作者は職工ではあるが芸術家ではない。或は其の製作者に信仰的情熱があつたかも知れないが、それは芸術的精神とは何の関係も無いものである。

 異国文化を学習し得るものが、特殊の便宜と素養と、又之に要する費用を弁ずる資力とを有つてゐるものに限られ、従つてそれが宮廷と少数の貴族と其の保護の下に存立してゐた寺院とに限られるのは自然の勢である。官府に属することはいふまでも無く、仏教に関してもまた同様であつた。寺院はもとより公衆のための会堂ではない。其の装飾に用ゐられた絵画も、公衆の賞翫すべきやうには造られず、法会の音楽も公衆のために奏せられたことは無い。文学に於いても亦さうである。言語を以て公衆の耳に訴へず文字を以て伝写させる場合に、印刷術も開けず其の文字すら特殊の教育あるものの間に行はれたのでは、文学が一般民衆と縁遠くなるのは当然である。さて、富と権力とが中央に集められた時代に於いて、貴族的文化の舞台は都府であるから、当時の文化はまた都会的であつた。地方の豪族や上番の兵士などが京の文化をひが学びに学んだことはあらう。また全国に散在してゐる国府と国分寺とは地方に向つて中央の文化を伝へる機関にはなつてゐた。けれども、それとても中央文化の貧弱な模型を示して、地方人に幾らか中央の文化を学ばせたといふまでであつて、それを中心として地方的文化が発生したのでは無い。さうして国府と国分寺とから一歩外へ出れば、四方の光景は全然それと趣を異にしたものであつた。中央政府から派遣せられた国司は、利益があるから地方に赴任はするものの、国府にゐてさへいぶせくてたまらぬ。詞藻のあるものは僚友と共に詩酒の間に盤旋して纔かに旅情を慰めてゐた。中央の都府に成長した彼等の生活に堪へられないほど、地方の空気は荒涼たるものであつた。中央文化と一般国民の状態とはそれほどに大なる懸隔があつたのである。

 都会的・貴族的文明、私人的・室内的生活は、おのづから人の趣味を壮大よりは優美に、剛健よりは柔和に、質よりは文に傾かせるが常であるが、支那流の礼文主義と仏教の慈悲思想とが一層この傾向を助長して、女性的気風を当時の都人士の間に馴致したのは怪しむに足らぬ。勿論天平時代には大規模な寺院も建てられた。思ひ切つて大きな大仏も作られた。地方の国分寺すら後世にはとても出来さうにないほど宏壮なものがあつたらしい。蓬草の間に横たはつてゐる断礎を見ても坐ろに当時の偉観がしのばれる。けれどもこれらは、支那風の政府を設けたり奈良の京を造つたりしたのと同様、前後の顧慮も無く大袈裟なことをやつた政府の事業である。趣味の発現では無くして権力の行使である。だから私生活に於ける当時の人々の趣味はそれとは違ふ。奈良朝の末の蝦夷征伐に士気の甚だ振はなかつたのは、武人にも一般に文弱の弊があつたことを示すものではあるまいか。また政府全体としては、事があれば神仏に祈祷して加護を求め、折があれば漫りに大赦を行つて仏者の所謂善根を播くをつとめたので、当時の為政者がいかに女性的な感情を有つてゐたかがわかる。

 かういふ文弱浮華な貴族によつて組織せられてゐる政府に立派な経綸の行はれる筈はない。此の時代の政府の事業として注目に値するものは蝦夷経略の一事であるが、これも大体は受動的であつて、蝦夷が侵略して来るから余儀なくそれを討伐したらしく見える。蝦夷に対する伝襲的政策がこんな風であるとすれば、奈良朝時代になつてからの政府の態度が益々生ま温いものであるのに不思議は無からう。さうして此の蝦夷経略を除いたならば政府の事業は殆ど何ものもないといつてよい。事業の無い政府は自然に腐敗する。其の上、国民生活の実情に適はない制度は実行せられず、実行せられない法令は却つて政治の弊害を醸成する。耕地国有主義、班田の制度は人生自然の要求に適はないから墾田が生じ、貴族等は政府から支給せられるだけでは生活が出来ないから、私有地を作る。さうして官僚政治の制度でありながら閥族の手に政権があり、人才登用主義でありながら重要の官職は世襲的貴族の社会で占領せられる。閥族と彼等に頤使せられる官吏とが公器を利用して私腹を肥し専恣を働くには、最も都合のよい状態であつた。孝謙・淳仁・称徳の三朝に於ける中央政府の混乱は其の表面に現出したもので、聖徳太子に始まり、天智天皇に紹述せられ、大宝令に成つた新政は、是に於いて襤褸百出したのである。さうして其の根本原因は、物質的にも精神的にも国民生活の内容と調和しない異国文化・異国政治の形式を強ひてそれにあてはめようとしたところにある。国民自身の内的要求から作り出した制度でなく、異国のものを外部から装飾として附け加へたところにある。

 こんな有様のうちに奈良朝の世は所謂平安朝に移つていつた。

 八世紀頃までの日本は、西洋近代主義を摂取した十九世紀以降とはまるで様相が違っていたようですね。

 
 
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