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Re: 日本人の国民性

 投稿者:クロメール  投稿日:2012年 1月10日(火)20時02分8秒
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  > No.331[元記事へ]

☆ SHO 様


 こんばんは。

昔の日本人の気質と現代の日本人の気質に、全体として大衆レベルでは共通項を見出せるというのが面白いですね。

 そうなのですよ。
恥ずかしながら、私奴が信じきっていた《日本人像》とは、大衆レベルではなく歴史上の人物(概ね“偉人”)を標本として想像を巡らせていたものですから、そこに重大なる齟齬があったわけですね。
 よくよく考えてみれば、歴史に名を遺した人を当時の平均的な日本人と錯覚したのがそもそもの間違い。
凡庸な大衆(?)が出来ない(やらない)ことを成し遂げたからこそ、歴史に刻まれたのでしょうから。

 三島由紀夫は『葉隠聞書』を“逆説の書”としているようですが、まさにそのとおり。
有名な《武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。》の件も、太平に慣れた武士たちが生きる事に執着する時代なるが故の警告であろうし、当時の武士が挙って死ぬ気でいたのなら、山本常朝師だってこんなお説教(?)を垂れる必要もなかったでしょう。

 国民性といった場合、上流・下流の両極ではなく、大多数を占める中流層(民衆・大衆・庶民といったレベル)の持つ資質を指すのでしょうから、宜なるかな、ではあります。

 さて次は、上代を締め括る「文学の萌芽」の結語部分です。

 我が国に於いて文学といはれる程のものは、最初から漢文字に写されたものであり、特に民謡の類を除く外は、多少なりとも支那文学の影響を受け、少なくともそれに接触してから形成せられたものであつて、従つてまた貴族的の産物である。さうして、それが一般民衆の間に行はれたもので無いのみならず、社会的状態が民衆をして異国の文化に接触せしめる機会を与へず、又幼稚な文化の程度にある民衆は、それを吸収する力もなく、学習しようとする要求をもしなかつたのであるから、かういふ貴族的文学は容易に民衆の間に弘まらなかつた。

 たゞ民謡と民間説話とだけは、古くから民衆の間に行はれてゐた国民固有のものであつて、それが貴族社会の手で精錬せられて記紀に見える歌ともなり、、また神代史中の種々な挿話ともなつたのであるから、それによつてやゝ上代文学の萌芽を覗ふことが出来る。また貴族文学とても、それに現れてゐる思想と感情とに至つては、大体に於いて我々の民族生活に固有なるものであつたのである。それは貴族の間に於いても、支那の思想が単に実生活から遊離してゐる知識として存在してゐるのみで、また彼等の情生活と融合し、彼等の人格の一要素となるまでになつてゐなかつたからである。

 うぶな私人の感情、即ち主として恋を詠じた歌謡の類に於いては猶さらである。さて、こんな風にして芽をふき出した文学が、支那文化の益々盛んに入りこんで来ると共に、又それによつて一種の貴族文化が形づくられると共に、どういふ発達をしてゆくかが、此の書に於いて研究しようとする最初の一問題である。


 
 
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