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Re: 日本人の国民性

 投稿者:SHOメール  投稿日:2012年 1月10日(火)12時55分58秒
  通報 返信・引用 編集済
  クロ様

こんにちは。
今回の序論、興味深いですね。

> 読むにつれ、信じきっていた《日本人像》が悉く覆される思いがしている。

小生の場合、日本人像が覆されるというほどの感慨には至らないようです。
とはいえ、昔の日本人の気質と現代の日本人の気質に、全体として大衆レベルでは共通項を見出せるというのが面白いですね。

>  楽観的で快活な気分が養はれた代りに、安易な生活をする者の常として、得難いものを得ようとする希求の念が弱く、従つて強い意志が無く、奮勉努力の精神、冒険的の気象などは養はれなかった。満足はしつゝも人生其のものに対して深い執着が無く、飽くまでも人生の歓楽を領略しようとする情熱が乏しい。我を忘れて踊り狂ふ調子も無い。すべてが軽快で、うはすべりがしてゐて、低調で、微温的である。争闘と苦痛と不安との間から生まれる反省沈思の念はいふまでもなく生じない。これが我が上代人の有つていた楽観思想の半面である。

まるで今流行りの草食男子の起源を見るようです(笑)。
ここから垣間見える事実とは、上代人は楽観的であったということ。そして穏やかで平和的であったということですね。敵がいないから葛藤もない。あるいは、葛藤がないから、敵もいないのかも知れません。深い執着がないから、略奪も起こらない。
けれども一方では“満足”しているわけですから、幸福がある。
要するに、足るを知っていた。
否、足らざるを知らなかったというべきでしょうか。
蛇にそそのかされて禁断の実を食べる以前のエデンの住人を思わせます。
それはまた黄氏の指摘する古の日本人像と何ら矛盾するものでもありません。

>  かういふ民族が或る時期に於いて我が皇室の下に統一せられたのである。地方的小君主は概して甚だしき抵抗なしに服従し、其の大部分は旧のまゝに豪族として配下の土地人民を所有することになつたらしい。勿論、武力も用ゐられたではあらうし、後々までも、かの出雲建や熊襲建の伝説によつて知られる如く、多少の反抗者は出たであらうが、大体からいふと、一旦統一せられた後は、多くの豪族は喜んで我が皇室に帰服してゐたので、皇室と諸氏族との間には親和な関係が成り立つやうになつた。だから皇室も威力を以て彼らを抑圧せられることが少なかつたのである。

つまり、国民一人ひとりの在り様が平和的であったからこそ、その統一も平和的であったといえるわけですね。そして、そういう国民の気質は、恵み豊かな自然に育まれたものでありましょう。

>  あまりに程度の違つた異国の文化に卒然と接したのであるから、何よりも先にそれを学習し模倣しなければならなかつた。模倣に巧である。自己の生活から自己の文化を創造するよりは自己を捨てて異国文化の形式に順応しようとする、邦人の一習性は既にこゝに萌してゐる。其の上、模倣と学習とは主として智力の働きであるから、一種の知識主義といふような傾向が養はれ、知識を偏重して自己の純真な情生活を軽んずるやうな態度が生ずる。真の自己を忘れて異国人から得た知識に順応するため、知らず識らず虚偽の生活をするやうになる傾向がある。さうして、これがおのづから、我執の少ない意欲の弱い固有の民族性にも適合する。

今日見られる知識偏重主義は、ずっと以前にそのルーツを辿ることができるわけですね。
納得です。

>  従つて異国思想を学ぶことは実生活から遊離した一つの知識的遊戯になつてしまふ。我が国に入つて来た仏教や儒学には大体に於いてかういふ傾向を免れなかつたのである。
>  それからまた、外から入つてくるものを学ぶ習慣が自然に新しいものを好む性情を我が国民に養はせた。自分のものより善いものが外にあれば直ちにそれを学ぶ。旧くからのものより、新しいものが目につけば忽ちそれに趨くのもこれと同じ心理である。我が国の文化の発達して来たのは一つは之がためであつて、固定しないでよく新しいものを享受したからである。が、其の半面には落ち着きのない、変り易い、しつかりしないといふ、欠点が伴ふ。何事に対しても長い年月を費やして一心不乱に努力するよりも、手つ取り早く片付けてしまはうといふ性質もまたこゝから生ずる。さうしてこれもまた、軽快な、淡泊な、浮つき易い固有の国民性と調和してゐる。

鋭い指摘ですね。
新しいものにすぐかぶれ、軽佻浮薄な流行に流されやすいわが国の国民性のルーツを垣間見る心地です。

>  それのみで無い。異国から優秀な文化が常に入つてくるために、文化の点に於いて国民の誇りが無く、従つて国民的自負心が発達しない。もつとも其の代り民族的偏執の気風も養はれないので、我が国に来る異国人は古来何時でも尊敬せられてゐる。支那人・欧州人のやうに異民族を軽侮する悪風の無いのは甚だ結構であるが、個人に自尊心の無いと同様、国民に自尊心の無いのは、国民としての重大な一素質を欠いてゐるのである。

異民族を侮蔑しないという性質は、わが国に誇れるものが乏しいために自尊心の発達がなかったからだという分析のようですが、本当は他者を尊重するという性質に由来するのではないでしょうか。
“プライドが高い”というのは、わが国においては比較的好意的に用いられることの少ない人物評で、“でる杭は打たれる”のように、スタンドプレーを嫌う、即ち和を尊ぶ平和的な国民性の賜物として、その性質があるように思えます。

>  宗教に関して、幼稚なアニミズムのところへ突然支那の思想が入り、また仏教が入つた。外来の思想の方が遙かに程度の高いものである。たゞ異国の宗教はどうしても国民生活とはしつくり合はない。それを知識として受け入れることは出来るが、実際生活には容易に融和しない。例へば支那の哲学思想に刺戟せられて天御中主神が現れても、それが宗教的信仰となつて民衆の間に崇拝せられるやうにはならぬ。仏教の厭世思想は国民の楽観主義とはあまりに距離が遠くて容易に手がつかぬ。そこで実際の信仰としては、固有の宗教が幼稚な状態のまゝで後まで遺る。さうして異国の宗教はそれに変わつた衣装を着せるだけに止まるか、又は幼稚な状態に適合する方面だけが信仰として行はれ、支那の宗教思想は怪しげな陰陽道になり、仏教は単純な祈祷教となつてしまつた。さうして其の仏教は何時まで経つても同じ祈祷教であつて、国民の宗教思想がそれがために進歩することは少なかつたのである。万事が此の風であつて、政治でも風俗でも皆さういふ傾向がある。

この分析はその通りだと納得させられますね。
しかし、アニミズムが幼稚であるか否かは主観的な問題ではないかと。
それは幼稚というのではなく、原始的であると同時に本質的なのだと小生は思います。
わが国の場合、葛藤の乏しい国民性ゆえ、あまり複雑難解な理屈を要さずとも、人々は楽々と生きることができたのかも知れません。
もとより、哲学や信仰は葛藤なくしては発達しえません。 なぜなら、それらは葛藤を克服するためにあるからです。
むしろ難解な理屈を必要としなかったという事実から、葛藤から縁遠く、楽天的で平和的であった祖先の在り様をうかがい知ることができるように思いますね。

>  知識についても同じような現象がある。全体に知識の幼稚なところへ急に支那の学問や仏教が入つて来たから、すべてがそれに圧迫せられて、自分自身で知識を開いてゆくことが出来ない、自分自身の眼孔で宇宙万有を視、其の不可思議な現象に驚歎し、又それに疑惑を抱いて事理を考察しようとするでもなく、支那や印度の独断説に接したので、頭からそれを信じてしまふ外は無かつたのである。支那の学問も仏教の経論も、大部分は論理上の遊戯といつてもいいやうな、煩瑣な、力の無い、さうして日常生活に交渉の浅いものであつた。知識を得るに全力を費やしたのであるから、自分自身なり事物そのものなりを対象として深切に観察し研究しようといふ欲望は養はれず、真の智力も学問も発達しなかつたのである。

たとえ知識は幼若であったにせよ、知恵がなければそれらを活用するには至らないものです。一般庶民の在り様がどうであれ、それらの知識を活用し得たという事実を以って考えれば、わが国はそれらの文明なり文化なりを咀嚼してのける十分なポテンシャルを有していたものと考えられます。

>  しかしながら、幸ひに我が国は大陸的勢力の影響を直接に蒙らない位置にある島国であるから、政治的独立をば曾て傷つけなかつた。こゝに国民の最大の誇りがある。これらの事情から、我々の民族は韓半島の住民などとは違つて、自然に国民としての独立的精神を養ひ、長い間に漸次一種の国民文化を形成することが出来たのである。何時でも輸入時代・模倣時代が前に来て、その後の長い間に徐々に国民化が行はれる。これが古今を通じて我が国民文化の発達する形式である。

> 民族生活の根柢がしつかりしてゐて、其の民族が自己の生活を向上させ拡大させるだけの活気と力とを有つてゐ、又環境がそれに適当してゐるならば、特色ある国民文化が必ず其の間から発展して来る。さうして実際の民族生活に適切でない異民族の文化は其の民族を根本から動かすことができないのである。

優れた洞察ですね。
今後の展開に期待しています。

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